心を癒すお花の話
四季のある国に暮らしていると、季節ごとに、その姿かたちや色、香りで、私たちを楽しま
せ、元気づけ、癒してくれる草花たちとの出会いに恵まれます。
これは、そんな草花をこよなく愛する私がお届けするメッセージです。
気高く気品に満ちた花 菊
東洋で、最も古くからある観葉植物ではないかと言われている菊の花。 その漢字『菊』に
は、〝究極〟とか〝最終〟の意味があり、一年の最後を飾る花という意味があると言わ
れます。 また、英語の 『 Chrysanthemum 』 は、ギリシャ語の〝Chrysos(黄金)〟と
〝anthemon(花)〟が語源になります。

中国では古くから菊が栽培されており、紀元前3世紀の詩集には、菊を食用にしていた
ことが記されていたり、孔子の書物にも登場するそうです。 そして、不老長寿の薬効が
ある薬草として重用され、旧暦9月9日の〝重陽の節句〟にはその薬酒を飲み、長寿を
祈願したそうです。
菊の花は、日本には平安時代に中国から渡来し、『 古今和歌集 』 や 『 枕草子 』 『源氏
物語 』 に頻繁に登場します。ちなみに、『 源氏物語 』に多く登場する花はナデシコ、キク
オミナエシの順です。 そして同時に、その節句行事も〝菊の節句〟として盛大に催され
るようになっていきました。

菊の花全般の花言葉は 「 高貴 」 「 高尚 」 「 高潔 」 など、その気高く気品に満ちた花姿
に由来するものとなっています。 そして菊の文様は、着物や帯などをはじめとした日本の
伝統工芸でも愛されるモチーフとして、私たちの生活に溶け込んでいます。
さて、『 菊の御紋 』 といえば天皇や皇室を表すものですが、皇室で最初に菊の紋章を用い
たのは、鎌倉時代の後鳥羽上皇と言われます。 上皇はことのほか菊を好まれ、その文様
を自らのお印として愛用されました。 そしてそれが、後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇
にも継承されたことにより、皇室の紋章とされるようになったということです。

江戸時代前期ごろになると、園芸種の栽培が盛んになり、品種改良で大菊など多数の品
種が生み出されました。 今でも秋の深まる頃には全国各地で、さまざまな姿かたちの花が
その美を競う〝菊花展〟が華やかに開催されます。
菊の花の盛りは10月の下旬から11月ですが、野性味の濃い小菊は寒さに強く、〝残菊〟
とか〝晩菊〟と呼ばれ咲き続けます。〝冬菊〟とか〝寒菊〟とも呼ばれるそんな花も、さ
すがに年を越す頃には枯れてしまうのですが、その姿にも〝枯れ菊〟という名前が付けら
れて、季節の風情を表すものとして、詩歌や文学作品の中に登場します。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、日本文化のパターンを研究し、1946
年それを1冊の著作 『 菊と刀 』 として発表しました。 そこで彼は、日本文化を外的な
批判を意識する〝 恥の文化 〟、欧米の文化を内的な良心を意識する〝 罪の文化 〟
と定義しています。
大学生の時、この著作についての講義を受けたことが、なんだか懐かしく思い出されま
すが、ここでこの定義についてどうこう言うつもりはありません。 ただ、外国人から見て
〝菊〟 が日本文化の一面を表すシンボルに思えたという事には、今も昔も興味を覚え
ます。

日本の国花とされているのは〝桜〟と〝菊〟です。 パッと咲いてパッと散る桜に対して
花も日ちもよく長いあいだ楽しめる菊 ・・・。 動と静とでもいうのでしょうか、ある意味対照
的な2つの花です。
『 世界に一つだけの花 』 ではないですが、菊も桜も美しく、好みはあるにせよ、どちらが
優れているということはありませんね。 花もそれぞれなら人もそれぞれ、動も静もどちら
もOK。 しかも同じ人でもその場に応じて動と静を装い分ける、それももちろんOK!
そんなしなやかな二面性を持つこと、バランスをとっていくこと ・・・ 大切なのではないか
な ・・・ そんな事を、柔らかい秋の陽射しの中で思う私です。
